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クニヒロ株式会社

牡蠣について


広島牡蠣は安心・安全

浄化プールなど手間暇かけたひと工夫が高品質とされる広島牡蠣のおいしさを支えています。

通常、水揚げされたかきは洗浄された後、そのまま出荷されるのが一般的ですが、広島牡蠣はその前に、専用プールでじっくり一日かけて浄化します。これは、アサリでいうところの「砂抜き」のようなもの。体の中にたまっている雑菌などの汚染物を全部吐かせることで、かき特有のえぐみが解消され、かき本来のうまみが引き立ちます。広島県ではこの浄化をしなければ、生食用のむき身にできない条例を施行し、広島牡蠣の品質安定に県全体で取り組んでいます。


生食用と加熱用の収穫区域を分けることで責任をもった商品提供を実施しています。

広島県では県魚にあたるかきを県の特産品として大切に育てようという考えから、生食用と加熱用のかきとではその収穫区域をきっちりと区別し、厳格な指定を行なっています。これも他県にはない広島独自の条例に基づくもので、指定海域を作ることで出荷されたかきがどこで獲れたものかが判別できるようになっています。それに加え、クニヒロではさらに生産者までが特定できるトレーサビリティも実践しています。




広島牡蠣の歴史

縄文人の重要な食料だった牡蠣

広島湾沿岸は瀬戸内海の中でも特に穏やかで、太田川から流れ込むよう素を含む真水も混じり合い、プランクトンも多く、カキの育成に適したところでした。

縄文時代の貝塚からもマガキやイタボカキなどの貝殻が出土したことからも分かるように、かきは古代の人々にとっても重要な食料でした。その時代、天然カキがたくさん採れたことも想像できます。



470年の歴史がある牡蠣の養殖

かきの養殖の始まりは、文献によりますと天文年間(1532〜1555)だと言われています。 当時「天文年間、安芸国において養殖の法を発明せり(草津案内より)」というように書かれていて、養殖は石蒔養殖法(いしまき--干潟に小石を並べてかきを付着させ育成を待って収穫)や八重ヒビといった方法が行われていました。

やがて、時代 とともに技術が進歩していき、よりたくさんのかきを採ることができるヒビ 建法(小石の代わりに木竹にかきを付着させて収穫)が確立されました。



昔から珍重されていた広島の牡蠣

養殖技術の発達でたくさんのかきが収穫できるようになると、地元広島から山陽道などを通って他国へ販売されるようになっていきます。
また、延宝時代(1670年代)には「かき船」による輸送が始まりました。かき船とは、本来は輸送用である船を、販売にも使うというものでした。 かき船は八百八橋といわれるほど水路の発達した大阪に進出。大阪の人々に広島のかきを提供していま した。

このように。昔から珍重されていた広島のかきは、今も全国で消費され、現在では日本の総生産量の57~58%程度を占めるほどになっています。



広島牡蠣の育成

毎年8月頃に牡蠣の赤ちゃん誕生

マガキの産卵・放精は8月頃です。卵と精子は海中で受精します。
生まれたばかりのかきの赤ちゃんは約17日間ぐらいは海中で泳いで過 ごします。
赤ちゃんかきの身体を包む貝殻は、受精後約1日で形成されます。 この時の貝殻はDの形をしているので、D型幼生と呼ばれます。
その後、アンボ期幼生と呼ばれる形になります。
この頃の大きさは、たった300ミクロン (0.3mm)ていど。この小さな身体で、泳ぎ回りながら付着する場所を探すのです。そして、比較的浅い海に置かれた採苗棚にかけた付着器や、採苗器といわゆるホタテ貝の貝殻に付着します。



翌年の秋は、本格的な身入りの季節

採苗した年の冬、カキの子供たちがびっしり付いているワイヤーが筏に吊されていきます。その年を越え、徐々に大人になっていくかきたち。

翌年の秋、水温が下がってくると本格的な身入りの季節。丸々と太った大きな広島かきになっていくのです。



本格的な冬に入る頃が、牡蠣の取揚げ時期

本格的な冬にかきの取揚げ時期がやってきます。ワイヤーはウィンチで巻き上げられ、一番下の針金を切った瞬間、付着器はかき船に落ちていきます。

かきがいっぱいになると、かき打ち場に。「打ち子さん」と呼ばれる熟練した女性達の手で、殻がはずされて次々とむき身になっていくのです。


 

 

 

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